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野営の準備

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野営の準備

最大の頭痛の種は脱走だった…… 一般に、われわれ党員、分隊長、戦闘部隊長などは、それぞれに担当の「輩固対象」(脱走しそうな人間)を監視することになっていた。歩哺当番から雑役から使い走りまで、あらゆる作業を一緒にやるようにした…… 「輩固対象」が小便をしたい言えば、見張っている側も、「おれもちょうど行こうと思っていた」と言うのである……ゆら‘つつ憂鬱、望郷、不安―― こうした徴候には即座に対応する必要があった……戦闘のあと、とくに敗戦のあとは、監視を強める必要があった。脱走者の大半は野営の準備を終えたあとで逃げるので……通常の歩哺に加えて秘密の歩哺も配置した……万策尽きて、とうとう日本軍が労働者の脱走防止に使っていた手を使う部隊もあった――夜のあいだ、全員のズボンを回収して司令部に保管するのである。それでも、信用できるはずの幹部党員までが脱走した。

山東から東北へ移動になったある師団の指揮官は、 一一月一五日、毛沢東にあてて「脱走、伍、傷病」で当初の兵員三二万五〇〇〇のうち三〇〇〇を失った、と報告している。これ以前も、別の部隊の指揮官は、「昨夜一晩だけで……八〇名以上が逃走した」と報告している。脱走が五〇パーセントを超して、当初の四〇〇〇人強が二〇〇〇人以下になってしまった部隊もあた。東北で共産党軍に入隊した新兵たちも、戦う相手が国民党軍だと知ると大挙して脱走してしった。共産党軍の統計でさえ、 一九四五年一二月末から一九四六年一月初めの一〇日間だけで万人以上が国民党側に逃げたことを認めている。東北における共産党軍の兵員数は国民党軍をはるに上回っており、日本軍が残していった武器弾薬で装備も十分だったが、それでも脱走を防ぐこはできなかった。
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